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東京高等裁判所 昭和35年(く)125号 決定 1960年12月15日

抗告申立人 少年Cの附添人 長谷川一雄

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の要旨は、少年に対する保護処分取消申立を棄却した原決定には重大な事実の誤認があり、且つ決定に影響を及ぼすべき法令違反があるから、原決定を取り消し、本件を原裁判所に差し戻すとの裁判を求めるため、本件抗告に及んだというのであるが、

一件記録によると、少年は、少年に対する強姦保護事件により、昭和三五年二月二三日千葉家庭裁判所松戸支部において、中等少年院送致決定の言渡を受け、右決定は少年法第三二条本文所定の抗告期間を徒過したため確定したが、その後同年五月二三日附添人から、少年に右強姦の非行事実がなかつたことを認め得る明らかな資料、すなわち少年に対して審判権がなかつたことを認め得る明らかな資料を新たに発見したとして、同法第二七条の二第一項に準拠して右保護処分取消の申立がなされたので、同年一〇月二八日原裁判所が右申立棄却決定をしたところこれに対して、同年一一月一〇日、少年の附添人である抗告申立人から本件抗告を申し立てたことが明らかである。

しかし、保護処分をした家庭裁判所が、その決定が少年法第三二条第一項所定の抗告期間を徒過したために確定した後に、少年に非行事実がなかつたことを認め得る明らかな資料を新たに発見したことを理由にして、同法第二七条の二第一項の規定に従つて、その保護処分の決定を取り消すことができるかどうかについては、その文言上多少の疑がないわけではないが、仮にできるとしても、右規定は少年、その法定代理人又は附添人に対して、保護処分取消の申立権までも認めたものとは考えられないから、附添人が千葉家庭裁判所松戸支部に対してした保護処分取消の申立は、同裁判所の職権発動を促すものに過ぎなかつたものであつて、同裁判所としては、調査の結果保護処分を取り消すべきものと判断しない以上、特に本案に対する決定をする必要がなかつたものであり、従つて、同裁判所が、決定をする必要がないのに誤まつて申立棄却の決定をしたとしても、少年、その法定代理人又は附添人がこれに対して更に抗告をなし得る理由はなく、又右決定に対して、少年、その法定代理人又は附添人が抗告をすることを是認した規定もないから、本件抗告は不適法のものとして棄却すべきものとして、主文のように決定をする。

(裁判長判事 井上文夫 判事 久永正勝 判事 河本文夫)

抗告申立の理由

原決定はこれを取消し、本件を原裁判所に差し戻す。との裁判を求める。

第一原決定には、重大な事実の誤認がある。

(一) 原決定の事実認定は、全くの空中楼閣である。原決定は、少年について左の事実があつたものと認定する。即ち、少年等(A、B、C、――以下、これに倣う。)はDと共謀の上松戸市二ツ木七六一番地T子(昭和一九年一月二日生)を強姦しようと企て、昭和三四年九月二〇日頃の夜先づ右Dが甘言を以て右T子を自宅より同市幸谷所在の幸谷橋附近に誘い出し、同所の草むらに並んで雑談中少年等は矢庭に同女の両手をつかんでその場に押し倒し上から押えつける等の暴行を加えた上、順次同女に乗りかかり強いて姦淫しようとしたけれども少年等はいづれも年少で性交の経験なく、且つ被害者T子がいやがつて抵抗したため、それぞれ自己の陰茎を同女の陰部附近に押しつけた程度に止まり姦淫の目的を遂げなかつたものである、と。然しながら、本件は、小金中学校の秋の運動会が開催された昭和三四年九月二〇日の夜に起つた出来事として捜査並びに審判を重ねてきたものなるところ、同日の夜における少年等及び被害者T子の行動は、左記のとおりであり、同夜には原決定の認定する非行が行われる機会は全然ない。(イ) 少年等は、D、Eその他二、三の友達と共に右の小金中学校の運動会を見物に行つていたのであるが、それが終つた後、国電を利用し、或は歩行して同日午後六時頃松戸市幸谷に戻つて来た。(ロ) 被害者T子も又、右の運動会を見物に行つていたのであるが、それが終つた後、H子、K子と共に国電に乗り常盤線馬橋駅まで来て下車、同駅で右K子と別れた。右H子は、かねてFと同日の夕刻金町のお祭りへ遊びに行こうとの約束をしていたので、同駅前で同人の来るのを待ち受け、やがてやつてきた同人と落ち合つた。H子はT子を誘い、右Fと連れ立つて同駅発午後六時頃の国電に乗り、金町駅(松戸駅より一つ上野寄りの駅)で下車し、同駅から徒歩でお祭り見物に出かけたのであるが、その途中でT子は、帰ると言い出し、H子及びFと別れ、再び国電を利用して馬橋駅に戻り、帰宅した。(ハ) Cは、右のFとは従兄弟の間柄であり、同人とは右の運動会へ一緒に行こうと約束していた。ところが、Fは、右の約束に反し、運動会の見物には来なかつたばかりでなく、Cの言うところによると、反つて前記H子及び被害者T子を伴い金町へ遊びに行つたとの事実が判明したので、CはA、B、Dその他の友達と相談らい、右Fに対し違約の点を詰問することとし、同人の帰つて来るのを待つていた。(ニ) ところがCは、被害者T子の家の前で同女を見かけたので、同女に対しFと共に金町へ遊びに行つたのではなかつたのか、と尋ねた。これに対しT子はFやH子から邪魔者扱いをされ、先きに帰れと言われたので、途中から帰つて来た旨を答えた。(ホ) FはH子と共に同日午後八時頃馬橋駅着の国電で帰つて来た。同駅から徒歩で十分位の距離にある幸谷の「貯水池」附近で、少年等はFに対し前記詰問を行い、互に言い争いをした挙句、最後にT子を先きに帰した理由を詰つた。これに対し、Fは、T子を帰したのは、同女を邪魔者扱いをした結果ではなく、同女の自発的意思で帰つたにすぎないと弁明し、真相はT子自身に聞けば判るということになつて、午後九時すぎ頃右H子がT子をその自宅へ迎えに行つた。やがて、T子は就寝用の和服姿で(同女方では、毎夜午後九時すぎ頃店舗を閉じ、就寝するのを例とする。)H子に伴われてやつて来て、双方からの質問に対して、Fの弁明に沿う(即ち、自発的意思で帰つて来たものである旨の)証言をしたので、言い争いは落着した。(ヘ) そこで帰宅しようということになり、少年は同所から徒歩で六、七分の距離にある幸谷の「火の見楼」の附近に移行した。その時刻は同日午後一〇時頃と推定される。同所から (1)  T子は独りで程近くの自宅に帰り、(2)  AはH子をその自宅まで送るため同女と共にT子の自宅前を通つてH子方の近くに至り、そこで同女と別れ、あとは独りで帰宅(「火の見楼」からH子宅までは徒歩で七、八分行程、同所から少年宅までは徒歩で二五、六分行程)、(3)  B、C、D、Fは雑談をしながら、打ち連れて帰宅の途につき、徒歩で二五、六分の距離にあるA宅前で先づFが別れ次いで同所より徒歩約二分の距離にあるB宅前で同人が帰宅、同所より更に徒歩約五分の距離にあるC宅前で同人が帰宅、最後に残つたDはその先き徒歩約一五分の地点にある同人宅に帰つた。それ故、少年等及びBの帰宅は同日午後一〇時三〇分頃から同日午後一一時頃までの間であつたと推定される。以上摘記の(イ)ないし(ヘ)の事実は、他の本件関係者の供述と比較して最も理路整然とし、且つ明晰な原審証人Fの証言や、要点においてこれと符合するH子の供述に基き、更には少年院に収容されていて相互に連絡の方法はなく、然も外部から何等の影響を受ける惧れのない少年等の原審供述が事実説明の要点において合致し、右FやH子の供述ともよく符合する事迹に鑑み、これを真実と認めなければならないものと信ずる。「火の見楼」附近で別れ別れとなり、AにはH子が連れ立ち(H子の検察官に対する昭和三四年一一月六日附供述調書参照)、又、B、C、DにはFが連れとなり、それぞれ帰途に就いたと言うからには、H子、あるいはFは同夜のそれ以後における少年等の行動を知つていた筈であるとしなければならないものなるところ、右両名の供述は、原決定の認定するような少年等の非行のなかつたことを明白にしているのである。尤も、原決定は、原審におけるFの証言中、「少年等のアリバイを証明するが如き供述」部分を信用しないと言うので(この判断は、不当のものであるが、暫く措く。)、仮りに百歩を譲り、同人がB、C、Dと共に「火の見楼」附近から帰途に就いたとする部分以下を前記摘示の(イ)ないし(ヘ)の事実のうちから除外してみよう。これを除外したその余の一連の事実関係については、原決定の信用する被害者T子の証言がこれを肯認するので、原決定も、これだけは真の事実であると認めざるを得ないであろう。そこで、借問するが、それでは、一体、原決定の認定する少年等の非行は、右一連の事実関係のどの段階において敢行されたもの、と原決定は断定するのであろうか。原決定は、決定文面においても、又、その口頭による説示においても、この点の判断を全然明示しなかつたのである。強いて平仄を合わせようとすれば、T子が「火の見楼」附近から帰途に就いた後のこれと接着した機会に少年等の非行が行われたものとして、事実の結び付けを試みるより外に途はないであろう。かような目的から出た小細工的な努力の表われが、即ち、原裁判所調査官鶴岡衛の原決定裁判官に対する昭和三五年七月八日附調査報告書に録取されている右T子の陳述記載である。と考えられる。(原裁判所は、同年九月三〇日のT子に対する証人調の際は言うに及ばず、その後の同年一〇月一七日に至るまで、少年等及び附添人に対しかような陳述のあることを秘していたのであり、又、右の証人調に当り――裁判官は、かような陳述のあることを知つていながら――そのような陳述をしたことの有無を確める趣旨の尋問すら行わなかつた。附添人は、原裁判所に対し、審判開始前から、調査官作成に係る関係人の陳述録取書の閲覧を求めていたのであるが、原裁判所は、閲覧の可否について疑義があるとして閲覧要求には応じなかつた。附添人がやつと閲覧し得たのは、結審間近の右の日であつたのである。以上の点に関する原裁判所の処置については、附添人の意見があるけれども、ここでは暫く措く。)然しながらT子の右陳述は、本件保護処分取消申立後に、何等の必然性もなく突如として、然も同女の在来の供述とは著しく相違する内容のものとして録取されているのであり、内容の上から見て甚だしく不自然なものと評さなければならない。T子の在来の供述では(イ)、本件被害以前に既に処女を失つている(昭和三四年一〇月一六日附警察官に対する供述調書)(ロ)、強姦既遂の被害を受けた(原審に先立つ前審判時における一貫した供述)(ハ)、本件当夜、H子と共に「貯水池」附近に行つた事実は全くない(昭和三四年一一月七日附検察官に対する供述調書)としていたのを、右の陳述では、(い)、処女を失つてはいない、(ろ)、強姦未遂の被害を受けた、(は)、H子と共に「貯水池」附近に行つた事実があると言い、重要な点についての供述の変更をしているに拘らず、変更の根拠、ないしは必要性の説明がされていない。又、右の陳述によると、「T子が帰りかけたとき、Dが呼びかけたので、引き返して(この言葉自体、場所的に事実に合わない不自然な表現である。検証の図面により明白であるように、幸谷橋は、「火の見楼」附近から帰宅しようとするT子の歩行方向からみれば、その行先きにあるのであつて、引き返して幸谷橋に行けるものではない。)幸谷橋附近に赴き、本件被害を受けた」というが、それならばまだあとに残つていたH子がそのことを見て知つていなければならない筈であるに拘らず、同女の供述は、そのような事実のなかつたことを明らかにしている(H子の検察官に対する昭和三四年一一月六日附及び同月九日附各供述調書参照)。又、本件当時のT子の服装は、その場に居合わせた者の一致した証言によれば、和服姿(就寝用の浴衣着)であつたとのことで、そのことが明白にされているに拘らず、T子は洋服を着用していたと言い、事実に合致しない結果をみせているのである。本件保護処分取消の申立をみて、俄かに、鶴岡調査官がT子をして内容の不自然な、然も曖昧な供述をさせる挙に出たことそれ自体、原決定の認定するような少年等の本件非行が、昭和三四年九月二〇日の夜に行われる余地のなかつたことを示す証左ということができる。原決定が、本来ならば昭和三四年九月二〇日と明確に認定できる筈の本件犯行日を、ことさらに、昭和三四年九月二〇日「頃」という風に曖昧な認定をするにとどめ、又、犯行の時刻の点についても、本件保護処分を言渡した昭和三五年二月二三日の決定(以下には、基本決定と略す。)では、「午後八時頃」と具体的に認定していたのを改め単に「夜」という風にぼかした表示をするにとどめ、時刻の具体的な判断を全くしなかつたのは、以上に指摘する証拠関係からみて、確信ある事実認定ができず、さらばと言つて、被害を受けたというT子の供述の形式的存在に拘泥する余り、その実質的批判検討を加えることができず、安易な帰結を基本決定の維持に見出そうとした結果である。ここに、大きな事実誤認を犯す原因が内在する。

(二) 原裁判所は、本件保護処分取消の申立に対し、調査官鶴岡衛をして種々の調査を行わせているが、その調査の基調は、明らかに、右の申立棄却の準備であることが看取される。その尤なるものを拾い出せば

(i) 昭和三五年六月二七日附多摩少年院長菊地省三作成の同調査官宛「A少年にかかる調査資料について」と題する書面の徴収――これに添付されている同院教官末信国生作成の文書によると、同教官の発言内容についての釈明が記載されているが、その釈明結果は同教官の思い違いか、さもなければ食言である。右申立書に「少年院の少年に対する観察の結果」として記載した内容には、誤まりはない。その当時、同院の長は同少年のために少年法第二七条の二第二項に則る通知を為そうと考慮をされていた由で、同院長は、直々、本抗告人に対しそのことを語り、もし、少年の保護者に同条第一項に則る取消の申立をする意向があるならば、是非、その申立をしてほしい、そうすれば、院長として行う通知手続は見合わせる、その代り、取消の申立をしたときはその写を送付されたいと望まれたので、抗告人は、現に申立書の写一部を同院長に送付しているほどである。(ii) 同月三〇日附松戸警察署勤務警部補藤田正興作成の同調査官宛「取調べ状況の報告について」と題する書面の徴収――かような書面を徴するよりは(何人も自己に不利なことを書くの愚はしない。)、右申立書において指摘したところの、同警部補の非行に関する事実の有無の調査こそ、肝要であると思料されるに拘らず、その調査は皆無である。(iii ) 同年七月八日附同調査官作成の原決定裁判官宛調査報告書にあるT子の陳述録取であり、前二者の(i)及び(ii)は、右取消申立のために新たに提出した資料の価値を薄弱にしようとするもの、(iii )は、申立棄却の決め手として用いたいための資料を作りあげておこうとしたものと解される。原裁判所がその審判に先立ち、かような意図を包蔵する調査を行う所以は、結局は、基本決定を維持したいとの一念に発するものであり、かような執心のあるために、事実誤認の非を犯す結果ともなるのである。

第二原決定には、決定に影響を及ぼす法令の違反がある。

原決定は、少年の非行事実認定の証拠を列挙するが、そのうち右非行に関する直接証拠にして少年に不利益なものは、被害者T子及びDの各証言だけである。然し、Dは一面には低能で誘導に乗り易く、他面には嘘つきであり、到底信用に価しない部類の人間である。その証言価値は全くない。又、T子の供述は、先きに言及したように、被害内容の説明に一貫性がない上に-基本決定当時には、宣誓の上、強姦既遂の供述をしていたのに、原審においては、これ又宣誓の上、既遂の被害はなく未遂の被害を受けただけであると供述している。これは、明らかな偽証であることを忘却してはならない。-具体性がなく、説明しなければならない重要な個所に及ぶと黙して答えない態度を採る有様で、これ又、到底、信用することができるわけのものではない。然るに、原決定は、「元来、証拠の証明力は、裁判官の自由な判断に委ねられているものである」(原決定四枚目裏三行目以下)ということに逃げ場を求め、我武者らに、右T子及びDの供述を信用し、その反面、客観的には十分に信用に価するFの証言を貶しているが、これは、既に論じたように基本決定を庇護したいとの考慮から、証拠の証明力に対する検討を無視し、裁判官の恣意によつて証拠の取捨選択を行つているに帰着する。この意味において、原決定は証拠法に関する法令違反を犯すものと言わなければならない。

補充理由

第一原決定の非行日時に関する認定批判

(一) 原決定は、本件非行の日を昭和三四年九月二〇日「頃」と認定する。然しながら、抗告申立書において既に言及したように、本件は、同年秋に行われた小金中学校の運動会開催日の夜に起つた出来事として捜査並びに審判を重ねてきたものであるところ、同運動会の開催日が同年九月二〇日であることは、同年一〇月二七日附千葉地方検察庁松戸支部の佐藤検察事務官作成に係わる同中学校よりの回答電話聴取書記載によつて明白にされたのである。被害者と目されているT子は、同女自身も肯認するように、右の出来事のあつた日の夕刻にはH子、Fと共に金町のお祭りへ遊びに出かけたというのであるから「金町のお祭り」とは何れの神社の祭礼を指すのであるか、その秋季祭礼は例年いつ行われるものであるかを抗告人が念のため調査してみると、神社は金町の産土神を祀る東京都葛飾区金町四丁目五一五五番地「葛西神社」、その秋季祭礼日は、ここ数年来、毎年九月一九日及び翌二〇日であることが判明した。(添付の同神社宮司の証明書参照)

昭和三四年度における小金中学校秋季運動会の開催と葛西神社秋季祭礼とが相重なる日と言えば、「九月二〇日」以外には全くあり得ないのである。それにも拘らず、原決定は何故に本件非行の日を昭和三四年九月二〇日と断定しないで、同日「頃」という時間的に幾分幅を持たせた認定をするのであろうか。

(二) 又、原決定は、本件非行の時刻を限定しないで、ことさらに昭和三四年九月二〇日頃の「夜」というぼかした認定にとどめている。元来、原決定が少年に対してその認定するような非行があつたと断定するからには、その当日における少年の行動を検討し、何れの行動段階において右の非行が敢行されたものであるかの認定が基礎とならなければならず、それがためには必然、非行時刻に関する認定があつて然るべきである。それにも拘らず、原決定は何故に、かくは「夜」というぼかした認定をするのであろうか。

(三) 右の二点については少年に対し本件保護処分を言渡した昭和三五年二月二三日附基本決定の認定態度と相対比してみる必要がある。基本決定は、非行の日時を認定して昭和三四年九月中頃の午後八時頃とする。同決定が非行の「日」を確定せず、単に「九月中頃」としたについては、捜査段階において右非行の基本的事実関係を明確にしておかなかつたという結果にわざわいされたことにも若干の原因があろうが、根本的には、同決定をした裁判官が基本的事実関係を明確にした上で保護処分を決しようとするの努力を欠き、容疑の事実は、松戸第三中学校の運動会が開催された同月一三日の出来事であるのか、或は又、前記小金中学校の運動会が開催された同月二〇日の出来事であるのか、それともその中間の日の出来事であるのか、その何れとも心証を得ない儘に、少年の保護処分は犯罪の証明がなくても、罪を犯す虞があると認定すれば、少年を保護処分に付することができるのであるから、刑事訴訟法の原則に則つた厳格な意味の証明を経由せずして事実の認定をして差支えない。(同裁判官は、抗告人に対し法廷外において、このように意見を述べられたのである。)とする誤つた見解を採り、よい加減に事実認定をしてしまつたことに大半の原因が存する。(基本決定を救おうとした原決定でさえも、基本決定の強姦既遂の認定を同未遂に訂正せざるを得なかつたほどである。)それにしても、基本決定は、非行の時刻を特定し、「午後八時頃」だと認定した。同決定が信用したと推測される証拠からすれば、そのように認定せざるを得なかつたであろう。ところが、原決定は「原審強姦保護事件の記録を更に仔細に検討し同決定書第五枚目表一〇行目以下だというのであるから、本件非行日時に関する証拠関係を百も承知の筈であるに拘らず、非行の「日」については、その必要に迫まられて具体的判示をしたけれども、昭和三四年九月二〇日頃という時間的に幅を持たせた認定をし、非行の「時刻」については、基本決定が具体的に認定したのを改め、「夜」という漫然とした認定に代えてしまつた。重言すれば、基本決定が本件非行の「日」を特定しないで「時刻」を特定したに対し、原決定は、非行の日を稍々特定した代りに「時刻」の点をぼかしてしまつたという結果をみせたのである。

(四) 原決定が、本件非行の「日」と「時刻」とについて前記のような認定をした所以は、抗告理由第一の(一)に記載したように、原審が確信ある事実認定ができず、さらばと言つて被害を受けたというT子の証言の形式的存在に拘泥する余り、その実質的批判検討を加えることもできず、安易な帰結を基本決定の維持に求めようとした結果、そのように認定せざるを得なかつたものである。

第二本件の争点について

(一) 基本決定審においては、少年等は、無実の主張をしたのであるが、何分にも子供であるので、自己の言わんとするところを尽すことができず、保護者は、農村の人とて法律の知識皆無であるため、少年のためにする何等の弁護手段をもしない儘で、基本決定を受けてしまい、同決定を確定させてしまつたのである。原審に対する本件の保護処分取消決定の申立に当つては、抗告人が附添人となり、少年等の訴えんとするところを十分に取りまとめて容疑事実の無根であることを明らかにすると共に、初めてアリバイの主張をしたのである。少年Cのためにする保護処分取消決定の「申立理由」(二)の(6) 、原審における附添人の意見要旨第一参照。

(二) ここにおいて、本件の究極の争点は、次の一点に帰着せざるを得ないことになつたのである。即ち、少年Cは、昭和三四年九月二〇日の午後八時すぎ頃から午後九時すぎ頃までの間、松戸市幸谷の「貯水池」附近で原審証人Fを相手に言い争いをした。その場所には、少年A、同B、原審証人Dその他、二、三の男友達やH子が居合わせたのであるが、言い争の一つの原因が原審証人T子に関したことであつたので、右H子は右T子を呼びに行き、同女を伴つてきた。T子の説明で右C、F間の言い争は落着し、居合わせたものは三々五々、同所より徒歩で六、七分の距離にある「火の見櫓」附近まで移行したのであるが(抗告理由第一の(一)の(ホ)(ヘ)参照、ここまでの事実関係は、右T子も現在では認めるところである)、さて、そこから先き少年等をはじめ、T子はどのような行動をしたのか(すぐ帰宅したのかどうか)。その時以後に果して少年等に本件非行を敢行する機会があつたかどうか。

(三) ところが、原決定は、この争点に関して何等の判断を示さず、アリバイの主張に対しては、それは少年等の一方的主張を妄信したものであるか、若しくは、日時の経過による記憶違いによるものと解するとしてこれを斥けているのである。然し、アリバイの主張が正しいかどうかは、右の争点に関する判断がなされて初めて言い得ることである。争点に対する判断を無視した原決定の右の如き見解は、論理の飛躍を犯すか、証拠の取捨選択についての裁判所の専権を振り廻わすか(現に、原決定は元来証拠の価値判断は裁判官の自由裁量に属すると揚言している)そのいづれかによるのでなければ言えないところである。ここに原決定の事実誤認を犯す一因が存在する。

第三原決定が本件非行の認定資料として引用する証拠批判

(一) T子、Dの各原審証言の信用できないものなることについては既に抗告理由で述べた通りである。

(二) 川口利夫、松崎三夫、砂山延雄、塩入一男の各原審証言は、いづれも少年の収容されている少年院の教官であり、本件非行事実を直接に知るものではない。少年等が少年院に収容された後これらの教官に対しどのような言動を示したかを証言したにとどまるものであり(殊に、松崎、砂山の各証言は、少年Aが無実の訴をした事実を明らかにしているものである)これを本件非行の認定の証拠とするのは不当と言うべきである。

(三) 医師白幡光作成の診断結果の説明書の記載内容が原決定の非行認定とどのような関連があるのか了解に苦しむ。抗告人が右医師の診断の結果を援用したのは、容疑の昭和三四年九月二〇日より一カ月余を経過した同年一〇月二四日の診察時においてT子の処女膜がほぼ完全であつたことを同医師が確認しているので、これを強姦既遂の認定に対する反証に供せんとしたのである。右診断の結果によるとT子の処女膜に小さな破損があつたとのことであるが、これは、診察時なる昭和三四年一〇月二四日当時の状況であることを注意しなければならない。その破損は容疑の同年九月二〇日に発生したものであるか、それ以前に発生したものであるか、それともそれ以後に発生したものであるか、その点は明らかにされていないので、この破損の存在を以つて本件強姦未遂行為の結果と解するは、不当と言わなければならない。

(四) 現場検証の結果によつて明らかにされた重要な点は、T子が被害を受けたとして指示する場所とDが非行を犯したとして指示する場所とが著しく相違することである。右両名の供述が、もし真実を言つているものであれば、その指示する場所が当然一致しなければならない筈である。

(五) 原審(千葉家庭裁判所松戸支部昭和三五年(ハ)第三号事件)における少年Cの供述 原決定がこの供述を証拠に挙げる所以は、同少年が基本決定に基き印旛少年院に収容せられた際に、同院の教官塩入一男に対し「自分は強姦未遂をやつたために保護処分の言渡を受けてきたものである」旨陳述した事実を過大評価するためである。少年にかような言動のあつたのは、一つには、少年院への収容という大きな衝撃を受けた結果の自暴自棄的な気持から、いま一つには、収容少年間において相互に自己を「すごい者」に見せようとする気風があるところから、基本決定の認定事実にヒントを得て、でたらめの非行陳述をしたにすぎないのである。(でたらめの陳述であることは非行の日時として述べているところをみれば明瞭である。)かような供述を以つて本件非行の認定証拠とするは正当でない。

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